【2001・ニンゲン界の謎】

■1■…ニンゲンとして幸せに生きるって、どうすりゃいいの?…2001年秋

■2■…人を幸せにしたいって、どういう事??…2001年秋(未だ工事中)

★★★妹がインドで考えた事から…★★★2001年秋更新

彼女は2001年夏、
インドへハードスケジュールツアーに参加してきた。
車で何時間も移動する途中、たまに、ぽつぽつと村がある。

インドの人は多くが同じ宗教で、女性の地位も確立していて、
結婚した相手とずっと一緒に居るのが幸せだと、
お互いに信じているという。
実際、世界からみても、非常に離婚率が低いそうだ。
家族は多い方が楽しいと、何世代か、また親戚とも一緒に暮らす。

考えや感覚が大らかで、例えば仕事に多少遅刻をしても、
同僚が「彼はトイレに行っている」と答えると、
上司は事実を承知でも大目に見てくれる、とか(笑)。
大陸的、というのだろうか?

夕刻に仕事が終わり、家に帰り、
夕飯を済ませた後に家族総出で散歩に出る。
時には、夫婦で手をつないで…。そうやって、
人生(寿命はそう長くはないらしいが)ほとんどを一箇所の集落で過ごす。

教育が思うように受けられないとか、
ゆえに人生の選択権が狭いとか、
単純に今の日本と比べることができるが、
果たして、どちらがどうシアワセだといえるか、考えたくなる。
選択権がありすぎて、自分を見失って悩むこともあるのだから…。
(私は、どんな人生でも基本的にフシアワセではないと思うが)

例えると、思春期の子供が親と喧嘩して、
「生んで欲しくて生まれたんじゃない」
なんて言うのと同じように、
「この国の憲法や風土等々が気に入ったから、この場所に生まれよう」
とは、誰も出来ない。

私が思うに、自分で自分の個性にあった場所が選べたらいい。

  『世界は全部共通語で、それぞれ政府や憲法があって、
   子供時期を過ぎたら、好みの国へ移動できる!』

それなら万一、国の代表が戦争なんか始めても、自分で選んだ責任があるし、
人気の無い国は住みよい場所になるよう頑張るかも?!(笑)

…かなりムチャクチャ言ってますので、
生真面目な切り返しは予めお断り致します(笑)。


★★★「しあわせになってほしい」★★★2001年秋より更新中

他人の「しあわせ」とは、どういうものだろうか?
自分と比べ、環境が悪かったり、障害を持っていたり、成績が下だったり。
果たして、そんな事で一人の人間が「しあわせか、ふしあわせか」
等と言っていいものだろうか。

でも、漠然と、思う。
みんなみんな幸せでいて欲しい、と。
他人に迷惑をかけず、自分も必要以上に苦しまず、充実していて欲しい。
つまらないモノゴトに囚われないで、その人なりに生きて欲しい。

この「つまらない」という事も千差万別なのだが、
私には、けっこう押し付けたい部分でもあるのだ。
世の中に「つまらない=おもしろくない」事があふれ返っている気がする。
一見面白くなさそうでも、角度によって面白味がある場合もあるが、
同じ長さの人生を生きるとして、
あまりツマラナイ話に振り回されてばかりいるのもどうか。

でも、本人が納得して「自分はしあわせだ」と言うなら、
それを他人がどうこう言うモンダイではないのかもしれない。

過疎地で一人暮らしする老婦人が、あくどい業者に騙されて大金を盗られても、
「話し相手になってくれただけで嬉しかった」なんて答える。
……いいのか?それで?

結婚式で新郎が義両親に「ハナコさんを絶対しあわせにします」
「しあわせになれよ」「おしあわせに」「しあわせにしてね」
ま、あまり深い意味はないのだろうけれど。


※工事中・・・・・・・・・また来て下さいね※


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